「建設的な曖昧さ」(Constructive Ambiguity) が南アフリカの安定と平和を保つ (22/06/2019)

 志賀裕朗JICA主任研究員が、南アフリカにおいて土地改革をめぐる妥協がどのようにして形成されてきたかを説明した。(収録 天野富士子)


【講演題名】
 「土地改革をめぐる妥協はどのように形成されたか―南アフリカの平和裏の体制移行への示唆」

【講師】
 志賀裕朗主任研究員(JICA研究所)

【講演の概要】
 南アフリカにおける土地改革は、1913年の「原住民土地法」に基づいて、白人が国土の87%を保有するようになったという人種間の著しい土地所有格差の歴史を背景としている。土地改革問題は1991年のアパルトヘイト廃止により開始された国民党(NP)政府とアフリカ民族会議(ANC)との体制移行交渉における最大の焦点の一つであり、それ以来20年以上複雑な経緯を辿ってきている。1994年のANC公約では、5年以内に農地の三分の一を黒人へ移転すると約束されたものの、2017年のズマ大統領の演説のとおり、現状では「農地の僅か9%が黒人に移転されただけ」である。こうした状況を踏まえ、ズマ大統領は、同演説にて、「土地改革を加速して、必要あれば、白人から土地を強制収容する。」とも述べており、土地改革問題は依然として南ア政治の焦点である。

 志賀講師は、土地改革が遅滞している現状は今日の南アフリカにおける格差の解消の困難さを象徴しているとしつつも、土地改革を巡る困難な交渉がともかくも武力紛争等を起こすことなく平和裏に妥協できたことは注目に値すると指摘した。そして、その妥協は、制度を意図的に曖昧にしながら両当事者の同床異夢を可能にし、詳細な制度設計は先送りにするという両者の交渉戦術によって可能になったものであり、こうした交渉の手段・技術は平和構築や体制移行に示唆するところが大きいと指摘した。

 南アフリカの土地改革においては世界銀行が提案した「市場主導型土地改革」が採択され、土地再配分は「希望する売り手から希望する買い手へ(Willing Seller-Willing Buyer)」と呼ばれる制度が基盤となった。ANCは、この制度が資力の乏しい黒人にとっては不利な制度であることは承知していたが、交渉の決裂を回避するためにこれを受け入れた。ANC側の妥協に応えてNP側も譲歩を行ったため、結果的に土地改革法制度はANCとNP双方の譲歩の積み重ねで形成されることとなった。こうした互譲を可能にしたのが、「建設的な曖昧さ(constructive ambiguities)」を持つ制度だった。すなわち、財産権の保障と土地収用に関する規定を併せもつ憲法規定に代表されるように、NPとANCは意図的に法制度を曖昧にして、具体的な内容は専門家が判断すべき事項として先送りし、白人および黒人双方の楽観的な期待の同居(同床異夢)を可能としつつ制度を形成していき、政治的対立のエスカレーションを防止した。こうした「妥協形成の技術」は南アフリカの土地改革の制度設計を巡る交渉の成功裏の妥結において重要な意味を持った。

【パネル討論会・質疑応答の概要】
パネル討論会では、以下の観点から主に議論された。

  • ANC内には、白人との共生を重視する路線と黒人への再配分を重視する路線の対立がある。南アフリカがアフリカ南部における3分の1の規模の経済を占めている経済大国であることを踏まえると、経済力を有する白人が南アフリカから流失することを食い止める必要があり、どこに均衡点を見出すかが課題であるが、今日まで、経済が維持できていること、および内戦を回避したこと等を考慮すると、概ね、南アフリカにおける政治的な取り組みは成功している。ただ、過去10年において、ズマ大統領がポピュリズム的な政治を展開し、土地改革も例外なく政治争点化されているのが現実である。
  • 世論調査によれば、現在南アフリカの政治的関心は5割が雇用問題にあり、土地改革への関心は2-3%程度しか占めない。南アの経済構造は高度化(サービス産業化)が進展しており、農業の割合はさほど大きくない。また、国際競争が激化するなかで農業は大規模化を余儀なくされており、仮に土地改革が成功して黒人が土地を分与されても、本当に自営農として生き残っていけるか、経済に貢献できるかは不明である。このため、政府が直面する課題は、雇用と教育における黒人と白人の格差を埋めることである。土地改革はあくまでポピュリズムレベルの関心ごとであり、南アフリカの最優先課題は、教育制度の改革および雇用の創出だと考えられる。

 上記のコメントを踏まえて、志賀講師からのコメントは、以下のとおり。

  • 産業の高度化が進んで農業の比重が下がり、また大多数の黒人が営農スキルを持たないなか、土地改革が南アの経済発展に貢献するものではないことはご指摘の通り。つまり、土地改革は、進まない黒人と白人との格差是正の象徴として、黒人の不満の種となっている。
  • 土地改革を巡る法制度に関する議論はテクニカルであり、あまり平和構築を巡る議論の俎上には乗らないが、平和構築や体制移行の業務を着実に進めるうえで、妥協できることから着手するという意味では重要な視点を提供していると考える。
  • マンデラが提唱した「虹の国」と比較すると、現職のラマポーザ大統領はより左派的なレトリックを採用するようになっている。尤も、「補償無しの土地収用を行う」といった過激な主張は行うものの、それを実際に行動に移すことは困難だと考える。

 早稲田大学の小山教授は平和構築ではliberal peaceの議論でliberalization before institutionalization ということが言われたりするが、南アフリカの土地改革の例はそれとは別にconstructive ambiguityアプローチをとった、興味深いケースであることがわかった。 また、キプロス紛争に関しては国連の仲介のもとで、和平合意文書がEUの専門家などを交え、不動産返還を含めた財産権に関する項目が詳細に渡って検討されていたようだが、その際に、南アフリカの土地改革の経験は参考にされたのだろうか、されなかったのだろうか。


 井上健会員から、以下のとおり述べられた。南アフリカの土地問題は、日本の領土問題とも共通する点があるようで、交渉の決裂を回避するために大きな障害はとりあえず曖昧なままにして先送りをしている。この手法は対立する集団の間の緊張が強い時期にはとりあえず有効な手段となりうるが、先送りを続けても問題が解決するとは限らず、結局は de facto owner がいつまでも既得権を持ち続けることになるのではないか。暴力的な解決方法をとれないのであれば、経済的なインセンティブや負のインセンティブを白人に与えることによって自主的に土地を手放すように仕向けるしかないのではないか。具体的には、魅力的な補償金を支払うとか、土地を持ち続けることが大きな負担になるような税制を導入するとかである。


 森口雄太会員から、以下のとおり述べられた。「南アフリカ国民の多くは土地問題よりも雇用問題に関心を持っている」という参加者のコメントが正しいとすれば、南アの土地改革は土地問題に代表される負の歴史に対する負の感情(主に非白人)の清算という側面が強いのではないか。

 谷本真邦事務局長は隣国ジンバブエの強引な土地改革政策は、経済破綻を招いたが、それは黒人のノウハウの欠如ということも理由の一つででしょうが、外国の資本の撤退が主な理由だと思います。そこで強制的ではない再分配や、WSWBの政策を取るならば、土地に担保設定をし、補助金や政策金融などを導入して、それを呼び水に民間などの資本を入れていくことが大事です。そして双方が売れる買えるように条件を整えなければ、貧困問題を抱えている黒人層には土地を買いたくても買えないでしょう。 また個人を相手にするだけではなく、ファンド、組合(農協)等を導入することで、土地の移転が進むと考えます。

 最後に長谷川祐弘理事長が、洞察に満ちた志賀裕朗氏の研究発表内容と見識ある方々からのご指摘から、多くを学んだと述べられた。そして二つの点に言及された。第一には、英国の政治哲学者ジョン・ロック(John Locke)により提唱された土地所有権の神聖化は、アメリカ合衆国の憲法では、幸福の追求(Pursuit of Happiness)に替えられたことが意義がある。その意味で歴代の南アフリカ政府が人種的な対立の激化を防止するために取ってきた「建設的な曖昧さ」(Constructive Ambiguity)政策は現状の継続を許容することになるが、平和を維持していくうえには良識的なアプローチであると言える。第二には、土地改革などの課題を政治指導者たちは、不正義なことであると指摘して、人々を扇動する傾向がある。シリル・ラマポーザ大統領は1期目の任期中には土地問題を注意深く扱ってきた。今後引き続き自制心を働かしていけるかが、南アフリカの平和維持に決定的な影響を与えると述べた。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です